星ふる湊

満月の夜に

昔々、一人の青年を導いた宝玉があったといいます。 行くべきところを指し示し、時には青年を励ましたという……。 その青年はやがて、この国の長となりました。 しかし、宝玉は失われ、今ではどこにあるのか分かっていません。

「伝説の宝玉が今、ここにあるなんてな」

ブロンズ色の髪の青年は、指輪に白い宝玉をはめ込んだ。

「お前に導いてほしい人がいるんだ」

ヨナは夜更けの窓の外を、じぃっと眺めている。 黒い瞳に映るのは、満月が煌々と照る夜空だけ。それでも、ベッドの中で楽し気に、足をパタパタと弾ませている。

「あっ」

窓の外にロープが垂れ下がったのが見え、ヨナは飛び上がった。それから、ヨナにとって聞きなじみのある衣擦れの音も聞こえてきた。

「おまたせ」

小さな低い声が聞こえてくる。ヨナの兄、シャイアーの姿が窓の外に現れた。

ここ、ヨナの部屋はお城の三階。シャイアーの部屋は、その真上の四階にある。その部屋の窓からロープ伝いに降りてきたのだった。

「お兄様、行きましょう」

ヨナも小声で返事をすると、窓を開けた。シャイアーの大きな手をとり胴に抱き着くと、二人は下まで滑り降りていく。

地面に降り立つと、二人の見た目が兄弟にしては大層違うことが見てわかる。身長にして百四十センチそこそこで細身なヨナ。対して、優に二メートルは超えるであろう筋肉質なシャイアー。ヨナは長い黒髪を、眼を模した銀色の髪飾りで後ろで束ね、シャイアーは癖のあるブロンドの髪を中分けツーブロックにしている。一方で、アーモンドのような形の目だけはそっくりだ。

ヨナは「よっ」と胴から飛び降りる。二人はお城の中庭を進み、食糧備蓄用の小屋の前に来た。 シャイアーは、小屋の扉を守る南京錠の鍵穴に人差し指の先を当てる。

「今日のいたずらだ」

シャイアーが念じると、指先の周囲の空気が極端に冷え始めた。冷えるどころではない。凍り付いている。ピキピキという音に合わせるように、空気中の水蒸気が凍り始める。小さな氷の柱は鍵穴の方へと侵入していき、鍵穴の中とそっくり沿うように形作られた。

「氷魔法を使ったキーピックだ」

指先を回すと、氷の柱が鍵の役割となり、南京錠が開錠された。

「溶けないから、必ず持って帰るんだぞ」

ヨナは頷いた。シャイアーは指先から氷の鍵をもぎ取ると、ポケットにしまった。

小屋の中には、大きな酒樽や小麦粉の袋などが重ね置かれている。

「この下にあるんだ」

シャイアーは中身の詰まった酒樽を持ち上げた。次いで、「これをどかすのね!」と、ヨナも持ち上げる。中身が詰まっているのに。

「おお! また随分力がついたな!」

シャイアーの笑顔を見て、ヨナは自慢げな表情を見せた。

「お兄様に追いつけるようにトレーニングしてるもん」

そう言ってから、ヨナは「あ」と何かに気付いた様子。酒樽のあった床に、なにやら蓋が被せられていたのだ。酒樽を置いてから蓋を取ってみると、隠し通路へと続くような梯子が姿を現した。

「本当にあった! よく分かったね」

「まあ、オレの嗅覚は確かだってことよ」

シャイアーが上機嫌に高笑いしかけたので、ヨナは咄嗟にその口を塞いだ。

「お兄様。見つかっちゃうじゃん」

「悪い、悪い。つい、な」

二人は早速、梯子を降り始める。一つ下るたびに、気温がグンと下がっていく。氷魔法を使う時の空気感と似ているとヨナは思った。一番下まで到達すると、月の光も届かず、辺りは真っ暗となった。

「明るくしよう」

シャイアーは手持ち燭台に火を灯す。

「わぁ……」

見えてくる景色に、ヨナは思わず感嘆した。 手作業で掘られたように見える地下道。そのボコボコとした壁や天井からは、巨大な氷の結晶が生えている。冷気の大本はこれだった。その大きさたるや、ヨナ達の魔力では到底作ることのできない立派なものだった。それらが、燭台のオレンジ色の明かりを反射し、妖し気にきらめいている。

「随分キレイだな。ここに、こんな物が残っていたのか……」

シャイアーは結晶をペチペチと叩く。

「進んでみよう。調査が正しければ、こっちにあるはずだ」

勇み足のシャイアーにヨナが続く。ヨナはケープを羽織ってくればよかったと後悔している。

道すがら、足元には寒冷地でも生息できる生物が丸まっている。

「モサモサだ」

ヨナが見たのは通称モサモサ、正式名をタキャクイヌモドキという。ずんぐりむっくりした胴体に脚が六本生えた見た目。どんな環境にも適応し、犬に似ているため、ペットにする人もいるという。

「寒いなりに生き物もいるんだな」

シャイアーは感心しながらも歩くスピードを変えない。そのうち、ヨナの足音が消えたことに気づいた。

「ヨナ? どうした?」

「お兄様……」

シャイアーは燭台の明かりをヨナに向ける。すると、ヨナが何かを抱えているではないか。

「見て。お兄様、この子」

ヨナが差し出したのは、タマゴのような形に短い手足の生えた不思議な生物、エッガマーだった。よく見ると、硬い岩壁による負傷か、氷の結晶による凍傷なのか、指が欠けてしまっている。

「よく気付いたな」

シャイアーは妹の観察眼に感服した。エッガマーの手指はとても小さい。通りすがりに気づけるほどの大きさではないからだ。

「これから生き物たちの面倒見るからね」

「ああ、よく見てあげるのも仕事の一つだな」

シャイアーはかがむと、「お前用に持ってきてたんだけどな」と一言付け加えながら、塗り薬をエッガマーに塗ってあげた。

「これで悪化はしないだろう」

エッガマーは嬉しそうにピィーと鳴く。

「それじゃあね。お大事にね」

ヨナはエッガマーを地面に降ろす。エッガマーは不思議そうな顔でピィと鳴いた。

しばらく進むと、結晶のきらめきが種類を変え始めた。蠟燭由来のオレンジ色ではなく、青白い──月の光だ。

「間違いない。ここだ」

二人は歩みを止める。洞窟の中に、大空洞があった。見上げると、頂点には穴が開いており、そこから月の光が差し込んでいる。至る所に生えた結晶は青白さを増し輝いている。燭台の明かりがなくても十分に明るい、不思議な空間。壁には古びたロープ網がかけられていて、上まで登れそうだ。このまま進んで調査したいだろう。しかし、二人は歩みを止めたまま、喋りもしない。

「……でけえ」

ようやくシャイアーが絞り出した言葉は、目の前の何かを形容する言葉だった。 ぬめぬめとした体表。横長の瞳孔を持つ両生類。それはまさしくカエルの様相。しかし、ドラゴンのような尻尾を持ち、背中は大きくくりぬかれたようにデコボコしている。デコボコは、人を何人も格納できるほど大きい。この個体は、全長にして、家一軒分はあるかもしれない。 巨大生物は、長い舌を手あたり次第通路にねじ込んでいる。狂気じみた動きにより、通路の壁は崩れ、地底は揺れている。

「あれは多分カーゴンだ。でも、あんなに大きな個体は見たことがない」

カーゴンはエッガマーの成長した姿である。背中のデコボコ一つにつきにエッガマー一匹を格納して育てるという。しかし、この個体のデコボコには、何十匹も入ってしまいそうだ。

「もしかして、ここから出られなくなってるんじゃない?」

「大きく成長しすぎたってことか」

二人はアイコンタクトをとった。流石に無理。逃げよう。通路に入れない相手ならここから戻れば無事に帰れる。それなのに。

「ピィーッ!」

大きな鳴き声がそれを阻んだ。

「さっきのエッガマー!」

「危ないッ」

シャイアーはヨナとエッガマーを抱えて横っ飛びした。

「大丈夫……だな!」

鳴き声めがけてカーゴンが突進してきていた。避けなければペシャンコに潰されていたであろう。

「参ったな」

二人の来た道を、カーゴンが塞いでしまった。それどころか、通路が崩れてしまっている。相当かがまなければ入れない状態だ。襲い来るカーゴンを避けながら入るのは至難の業だろう。急いで元来た道を戻る手法は使えない。

「ピィーッ!」

「あっ、また!」

エッガマーの声に反応するかのように、カーゴンが突進してくる。またもシャイアーがヨナ達を抱えて避ける。

「随分狂暴じゃないか」

焦るシャイアーをよそに、ヨナは抱えられた腕越しにカーゴンを観察していた。カーゴンは本来おとなしい性格。何故なら、子供を背負って育てるからだ。激しく動き回ると背中の子供が落ちてしまって、子孫を残しにくくなる。結果、おとなしい個体が繫栄したという説がある。

「ピィーッ!」

「うおっ!?」

またも突進。避けるシャイアーの呼吸は荒くなりつつあった。恵まれた体格の彼でも、少女と幼体をかばいながらの逃走劇はつらい様子だ。

「逃げるにも限界があるな。ここは俺に任せて──」

シャイアーは袖をまくった。鍛え上げられた腕があらわになる。しかし、ヨナは「待って」と静止した。 このカーゴン、たまたま気性の荒い個体という可能性もある。ただ、一つ疑念が生まれていたのだ。

「この二匹、家族なんじゃない?」

「家族……」

シャイアーは呼吸を整えた。

「親子かも。子供が私たちに襲われてると勘違いしてるんじゃないかな」

「ピィーッ!」

またも突進。かろうじて避ける。慣れたものだ。

「それなら返してやろうぜ。あの背中に」

見上げるのは、カーゴンの背中のデコボコ。

「本当に親子なら、あの中で育てるわけだからな」

「ピィーッ!」

エッガマーの叫び。

「来るぞ。避けたらゴーだ!」

カーゴンの突進。引き付けて、すんでのところで避ける。そのままヨナを持ち上げ、少しでもデコボコに近づける。

「今だ! 投げ込め!」

ヨナはエッガマーをふんわりと投げる。走馬灯のようにゆっくりと流れる時間の中、エッガマーはスリーポイントシュートの如くデコボコへと入った。美しい。その瞬間、カーゴンは電流が走ったかのように動きを止めた。

「決まったか!?」

カーゴンは香箱座りをする猫のように体勢を落ち着けた。希望は叶ったのだ。

「ピ! ピィーッ!」

エッガマーの嬉しそうな声が大空洞に響く。

「よかったぁー……」

へたり込むヨナを見て、シャイアーは微笑んだ。

「よく分かったな」

「うん。おとなしいカーゴンが暴れるってことは、相当なことだと思ったから」

シャイアーは「そうだな」と頷いた。

「まず、崩れるほど通路を舌で探ってた。ご飯を見つけようとしているだけかと思ったけど、それなら私たちのことも食べようとするよね」

「確かに、襲ってきただけだったな」

「だから、ご飯以外の何かを探しているのかもって思った。それで、あの子の声にすごい反応を示してた。つまり、あの子を探していて、私たちから取り返そうとしてるのかなって思った。突進で潰れちゃうってことまで忘れるぐらい、我を忘れるほど守りたい──きっと家族だなって」

シャイアーは何度か頷いてから、ヨナの頭を撫でる。

「ある時、子供が転がり落ちてしまった。でも、どうやっても背中に戻れなかったんだろう。あの親は育ちすぎているからな。だから、戻ろうと試行錯誤しているうちにケガをしてしまったと」

そう言って、「さて」と切り上げる。

「じゃあ、あそこから天井の穴まで登るぞ!」

シャイアーは壁に掛けられた網なわを指さす。

「お兄様! どっちが早いか勝負しよ!」

「負けないぞ!」

二人は随分と高い位置にあるゴールまで登り始めた。体力お化けである。

岩壁は所々崩れており、時折小さな石が降ってくる。二人は器用にそれらを避けながらグングンと上がっていく。あの巨大なカーゴンが子羊よりも小さく見えるぐらいで、終点が出迎えた。

「綺麗」

終点は天井の穴。見える景色いっぱいに星たちの瞬きが広がる。ヨナはため息をつきかけた。

「お先だ!」

ヨナが「あっ!」と言う前に、シャイアーが先んじて穴から出た。ヨナは急いでそれに続く。 外に出て最初に出迎えたのは、寒風だった。とても高い山の頂上、鳥の爪のような形の岩の中にこの穴がつながっていたようだ。

「ここは鷹の巣。この岩が鷹の爪みたいだからその名がついたらしいな」

シャイアーは身を乗り出して、岩の形を確認した。

「ここは知ってる。マイナーだけど、名所らしいよね。ここまでつながってたんだ」

ヨナは物珍しそうに鷹の巣を見つめた。

「この岩の角度的に、向こう──あった。黒鉄の国だ」

シャイアーの指さす方向に、切り立った山が見える。その頂上にそびえる黒い城が、黒鉄の国だ。

「明日から黒鉄の王子──カルくんと一緒に頑張るんだぞ」

ヨナは「うん……」と返事した。

「やけに威勢が無いな。許嫁なんだから、一緒に頑張りなさい。ほら、あそこにあるぞ」

黒鉄の国のある山の手前、緩やかな山岳地に、柵に囲まれた地帯がある。

「動物園だ!」

ヨナの声が明るくなる。

「オレの後継として動物園を管理するんだろ。カルくんと一緒に」

「……頑張る」

いまいち締まりのない顔のヨナの後ろで、夜空は朝の訪れを知らせようとしていた。徐々に地平線は赤みを帯びていく。その中で、シャイアーは懐に手を突っ込み、何やら取り出した。

「それは?」

太い指につままれているのは、白い宝玉をはめ込んだ指輪だ。

「これは、導きの宝玉だ」

ヨナは息をのんだ。

「それって、よくお兄様が読んでくれていた昔話の、あの?」

「そうだ。この宝玉が、お前を導いてくれるはず」

シャイアーはヨナの小さな手をとると、指輪を握らせた。

「この宝玉は、お前が行くべき場所に導いてくれる。ほら」

そのまま、ヨナの細い指に指輪を通した。すると、ヨナと同期するかのように、指輪が白い光を発し、ドクンと脈打った。

「これでこの宝玉はお前のものだ」

「……ありがとう」

ヨナは何か実感が湧かないような表情をしながらお礼を言った。

「オレがいなくても頑張れよ。この指輪と一緒に」

シャイアーはヨナの黒い瞳をじっと見つめた。瞳は朝日の輝きを映した。

「頑張る」

兄は妹を抱きしめると、最後にもう一度頭を撫でた。

「さて、ここからが大変だ」

すっかり明るくなった空。山の下には、風にそよぐ大草原がよく見える。

「城の兵隊たちに見つからないために夜に出たのに、もうこんな時間だ」

「あっ! こんなに明るくなっちゃった。帰ったら見つかっちゃう!」

「どう帰ったもんかな」

こんな感じでも二人は王族。王子シャイアーと姫のヨナ。溶けない氷の結晶が有名な、結晶の国の大事な跡取り。 ずっと一緒に過ごしてきた二人に、この朝日が初めての別れを告げる。

動物園の管理人となるヨナはどんな冒険を繰り広げるのか? どうぞお楽しみに。

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